淡路島・関西エリアで「総合建築・建設サービス業」を展開する関西ハウス工業

STANCE

スタンス

成長の前提

私たちは、
成長することを前提に生きている。

売上を伸ばす。
規模を拡大する。
効率を上げる。

それが正しいとされてきた。

その背景には、
近代合理主義がある。

考え、
測り、
最適化する。

不確かなものは排除する。

その積み重ねの中で、
経済は拡大し、
社会は便利になった。

一方で、
人間の本質そのものは、
数万年、
あるいはそれ以上の時間を経ても、
ほとんど変わっていない。

にもかかわらず、
産業革命以降、
社会は急激に変化した。

そのスピードに、
本当に適応できているのか。

適応したつもりになっているだけで、
どこかに歪みが生まれているのではないか。

経済を追い求めれば、
比較が生まれ、
競争は激しくなる。

勝つか負けるか。
持っているか持っていないか。

そうした二元的な構造の中で、
人は消耗していく。

比較や競争の中で、
劣等感や承認欲求も生まれていく。

それが、
人を疲弊させているのは明白である。

すでに、
多くの人が違和感を持ち始めているはずである。

それでもなお、
成長を前提とし続ける。

それは個人の意思というより、
社会の空気に近い。

政治もまた、
その前提の上に成り立っている。

経済成長を掲げ、
その達成度によって評価される構造の中で、
成長を前提としない選択は取りにくい。

だからこそ、
この前提から目をそらしてはならない。

日本には、
別の在り方も存在していた。

縄文時代は、
1万年以上続いたともいわれている。

そこには、
拡大や効率だけではない価値観も存在していた。

合理だけでは測れない、
祈りや願い。

自然との距離感。

人と人との関係も、
効率ではなく、
時間の中で育まれていた。

どちらが正しい、
という話ではない。

合理や成長によって、
社会が発展してきたことも事実である。

利益や効率も必要である。

それがなければ、
会社は続かず、
人の暮らしも守れない。

ただ、
今の時代において、
成長だけを前提にすることには無理がある。

だから、
問い直す。

何を伸ばすのか。
何を残すのか。